海外の小説を開くと、遠い土地の人物が日本語で話し始める。その声を届けているのが訳者だ。物語を追ううちに訳者の存在を忘れることもあるけれど、別の訳を読むと、一人称や語尾の違いにふと足がとまる。
同じ作品でも、文章の調子や会話の距離感は違って聞こえることがある。翻訳小説を選ぶとき、書名と著者名の隣にある訳者名にも目を向けてみよう。どんな日本語でこの物語を読みたいか。その視点が加わると、選ぶ楽しみが少し広がる。
翻訳は、単語の置き換えだけではできない
誰が、誰に、どんな場面で話しているのか。会話の一文には、言葉の意味と一緒に、二人の関係やその場の空気も含まれている。呼びかけや一人称、語尾をどう選ぶかで、日本語から受け取る人物像も変わる。
「ここにいて」と「ここにいてくれない?」を比べてみる。同じような頼みでも、言い方から感じる距離は同じだろうか。これは説明のために作った例で、作品からの引用ではない。実際の翻訳では、前後の文脈と原文の表現を踏まえて、一つずつ言葉が選ばれる。
厚生労働省の職業情報「翻訳者」も、外国語と日本語を扱う仕事として翻訳を紹介している。語学に加え、その作品や分野を調べることも必要になる。なめらかに読める一文の後ろに、そうした仕事がある。
同じ本の別訳を選ぶときの4つの確認点
- 訳者名:気に入った訳者の名前を覚えておく。次に読む本を探すときにも手がかりになる。
- 版と刊行時期:新訳・改訳・再刊などの表示を見て、何が変わったのかを出版社の説明で確かめる。
- 抄訳か、全訳か:同じ題名でも、児童向けの再話や省略を含む版がある。読みたい形の本文かを確認する。
- 本文の調子:試し読みがあれば、冒頭と会話の部分を読む。無理なく先を追えるかを見ておきたい。
刊行年の新しさだけで、読みやすさは決まらない。古い訳の調子に惹かれることもあれば、新しい訳で初めて物語に入り込めることもある。時代の雰囲気を味わいたいのか、まず筋を追ってみたいのか。いま読みたい気分に合わせ、実際の文章を少し比べてみよう。
訳者あとがきは、読み終えた後の案内役
本文のある言葉が気になったまま、最後のページまで来る。そんなときは、訳者あとがきや解説を開いてみたい。言葉の選び方、作品が生まれた時代、翻訳で参照した版などが語られていることがある。物語の中では立ち止まらなかった箇所に、もう一度戻るきっかけにもなる。
ただし、あとがきや解説には結末へ踏み込むものもある。先に読むか迷ったら、目次や冒頭の注意書きを確認しよう。物語を初めて読む驚きを大切にしたいなら、本文から進む方法もある。
読みにくいと感じたら、作品との入り口を変える
名前が頭に入らないなら、主要人物だけを書き留める。長編の途中で息切れしたら、短編を試す。別訳があるなら、同じ場面を少し読み比べる。一冊の途中で手が止まっただけで、海外文学全体との相性を決めなくていい。読み進める助けは、作品の外側にも見つかる。
別の訳を探すときは、題名の表記が異なる場合に気をつけたい。著者名や原題を手がかりに図書館の検索を使うほか、国立国会図書館の翻訳作品の調べ方案内も参考になる。
感想を書くときは、どの訳を読んだかを残す
書名と著者名に、訳者名や出版社を添えておく。そうすれば、感想を読んだ人が同じ版を探しやすくなり、自分でもどの文章を読んだのか振り返れる。
手元の版を記録したり、同じ版を探し直したりするときは、ISBNを使った本の探し方も参考になります。
印象に残った一節をブログなどへ載せる場合は、引用の条件や利用許諾を確認しておこう。短い文章であることや、出典を書いたことだけで、自由に掲載できるとは限らない。自分で訳した文章を公開するときにも、権利の確認が必要だ。詳しい条件は、文化庁「著作権を学ぶ」の教材などを参照したい。
好きな文章に出会ったら、訳者名をもう一度見る。その人が訳した別の本へ進むと、知らなかった作家にもたどり着ける。物語を運んでくれた言葉を頼りに、次の一冊を選んでみるのもいい。